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地域に雇用を生み出す観光産業の作り方、「第2回「新しい観光産業[尾道編]」、ゲスト:出原正直」レポート

2017年1月29日、エリア再生・連続シンポジウム「第2回「新しい観光産業[尾道編]」、ゲスト:出原正直」が図書館交流プラザりぶら会議室で行われました。

エリア再生・連続シンポジウムとは、東岡崎駅から康生や岡崎公園に至る乙川周辺の地区(乙川リバーフロント地区=RF地区)の過半を占める公共資産[公共施設・公園・道路・歩道・川など]を最大限活かして、豊かな市民生活と経済循環を拡大するために、公共と民間が力を集結して取り組むべき課題とその解決の手がかりを実例から学ぶものです。

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ニューヨーク編に次いで尾道編

 

第1回は、東京大学で都市工学をご専門とされる中島直人准教授にニューヨークのストリートデザインについてお話いただきました。第2回となる今回は、サイクリスト専用のホテルとして注目されている「ONOMICHI U2」や、地場産業のデニムを実際に職人さんが履いて”リアル”USEDデニムを製作・販売する「尾道デニムプロジェクト」などで知られる出原正直さんにご登壇頂きました。ディスカバーリンクせとうちとして、地域の魅力を活かした観光産業から雇用を生み出した事例をお話いただきました。

 

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ディスカバーリンクせとうち代表、広島県議会議員 出原正直さん

 

広島県福山市で生まれた出原さん。9年間商社で勤務し、実家が営む繊維の卸業を継ぐために戻ってきた時に見た景色は、縮小した地域の産業だったそうです。かつて繊維業や造船業で時代を築いたこの地には工場が立ち並び、子どもたちが家に帰ると内職をするお母さんが迎えてくれることが日常だったと出原さんはお話しされます。

尾道に戻ってしばらくしたある日、普段と同じように高校時代の友人らとの会食でとある出来事が訪れます。いつも明るい先輩が珍しく神妙な面持ちで「これから10年20年30年先と船をつくっているイメージがどうしてもわかん。これから雇用をつくることができなかったら、この街並みをどうやって僕らの世代が守っていくことができるんか。」と胸にいだいていた危機感を話されたそうです。同じ思いを共有していた5人の仲間はすぐに立ち上がり、「100先年にまちのためになることをやろう」と、事業を始めることになります。そこで目をつけたのが、衰退している工業ではなく、観光事業。尾道周辺には出雲地方や四国地方など観光産業が盛んな瀬戸内地域があります。観光を手段に地域に雇用を生み出す会社「ディスカバーリンクせとうち」誕生の瞬間です。

ディスカバーリンクせとうちが最初に手掛けたのが、尾道で路地や起伏のある土地が特徴的な千光寺周辺の「せとうち 湊のやど」です。同じ敷地内に江戸期に建設された出雲屋敷と昭和初期に建てられた洋館の島居邸を観光宿に改装し、ここを起点に瀬戸内観光をしてもらうプランです。オープン当初は宿泊先検索サイトなどを通じた集客に困ったそうですが、今ではチェックイン時に賃貸借契約が必要であっても、連泊する海外旅行者で賑わいようになったと言います。自分たちで発信したSNSや宿泊客の口コミが次の人を呼んでいたと出原さんは振り返っていました。

 

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始まりは観光宿の島居邸と出雲屋敷

 

次に手掛けた複合宿泊施設 ONOMICHI U2では、「観光×サイクリング×建築」を基軸に事業をはじめました。リノベーションした建物は駅西に位置する県営の倉庫で、アクセスの良さもあり年間15万人の観光客を生み出すことがプロポーザルの要件に入っていたそうです。そこで、ディスカバーリンクせとうちは、美しいサイクリングロードとして世界的に評価されるしまなみ海道という立地を活かし、自転車持ち込み可能なホテルとレストラン、ショップなどを提案。建築設計を建築家・谷尻誠さんに依頼。レストランは、地元の方がわざわざオシャレをして来るほど地域の方が誇りに思っているようです。2年目からはホテルの稼働率も上がり、現在では目標の15万人を達成。多くのスタッフが地元・尾道で生まれ育った人だというのですから、本当に地域から愛される施設となっていることに驚かされます。

 

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大きな転機となったONOMICHI U2

 

ホテル事業がいくつか成功を見せる中で、出原さんは出自とも言える尾道の繊維産業にも注力をされます。「尾道など備後地方は生地、染色、縫製業者などのクオリティは世界に誇る」と出原さんがお話するように、染色業を営むカイハラ株式会社が手がけるカイハラデニムといったデニムの産地としても知られています。しかし、各社が個々に情報発信を行っており、地域としてのまとまりや情報発信の仕方に課題があったと出原さんは振り返ります。

そこで、エリアの持つ魅力を産地から発信しようと始めた尾道デニムプロジェクトでは、尾道で暮らすさまざまな職業の270人と540本のユーズドデニムをつくりあげ、発信することを始めました。1週間履いてもらっては丁寧に洗濯し、1年が経った頃、540本の作品ができていたと出原さん。漁師のデニムは潮風で色が落ち、幼稚園の先生は膝にダメージができるなど、色は落ちてもそれぞれの生活がデニムにまさに染みているようです。商店街に新設したデニムを展示販売するショップには、毎日日本、世界各地からこのデニムを求めて訪れるそうです。ディスカバーリンクせとうちの名が表すように、「地域の魅力を再発見し、次の世代に発信して繋げていく。わざわざ尾道に来てくれる人が増える、共感してくれる人が目に見えて自信に繋がった」と出原さんは振り返ります。

 

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産地として発信、尾道デニムプロジェクト

 

共感してくれる人が地域に出て働き始めたり、魅力的な場所づくりのきっかけになった活動のひとつに、尾道自由大学があったそうです。2009年、「大きく学び、自由に生きる」をテーマに東京で開校されていた自由大学では、たくさんの人がそれぞれ授業を持ち、多様な人がそれぞれの興味に合わせて自由参加することができます。この主体的な学びの場を見学に行ったメンバーは、平日の夜でありながらも30歳台から40歳台の人が有料の講座に多数参加していること驚き、尾道でも同様の環境をつくろうと始めました。尾道の文化などについて学ぶ講座を土日に開講したところ、九州や首都圏からも参加者が訪れ、後にディスカバーリンクせとうちへの就職や地域おこしへの協力につながっていると出原さんはその活動の意義を実感しています。

 

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新たなつながりが生まれる、尾道自由大学

 

こうして5人で始めたディスカバーリンクせとうちも、次第に事業が回り始め、協力者やスタッフが増えていきました。すべての事業を合わせると200名程度の雇用を生み出して大きくなっていったのですが、同時に地域の課題を共有していたメンバーの危機感や思いが少しずつ薄まっていくことを感じていました。そこで、自分たちが活動する意義を「せとうち共に生きる」と言葉にし、持続的な活動の軸を作りました。

 

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「せとうち共に生きる」

 

 

さまざまな事業を多数の建築家などの専門家と連携していくなかで、「本当に地域のために活動しているのか、次世代への継承を実行しているのか?」と、時には立ち止まってしまいそうなときもあったそうです。そんな時に大切にしているもう一つの合言葉、「やってみい、あきらめるな、まぁええが」があと追しをしてくれたと出原さんは振り返ります。マーケットリサーチなどの事業性ばかり追いかけるのではなく、まずは手を動かしてみることが大事で、街のためにできることをひとつでもやっていく。たった5人で始めたディスカバーリンクせとうちは、こうしてリスクを自身が負い、つねに攻めの姿勢をとったことで大きなうねりを生み出していったようです。

岡崎でも行政がさまざまな取り組みをしていますが、同様に民間の主体的な働きかけがなければ公民連携はうまくいかないかもしれません。危機感をガソリンに始めたプロジェクトですが、人を引きつける学びのプロセスがあり、主体期に仕掛ける仕組みを持ち合わせたディスカバーリンクせとうちから多数のことを学ぶ機会となりました。岡崎からも、一人でもこうした動きが生まれることを期待してしまいます。

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会場には多数の方が訪れました

 

浅野 翔(あさの かける)

浅野 翔(あさの かける)

1987年、兵庫県生まれ。名古屋を拠点に活動するデザインリサーチャー。「デザインリサーチによる社会包摂の実現」を理念に掲げ、福祉や伝統工芸など幅広い分野でデザイン活動を行っている。「未知の課題と可能性を拓く、デザインリサーチ手法」を掲げ、文脈の理解と物語の構築を通した、一貫性のある提案を行う。 2015年の岡崎デザインシャレットをきっかけに、『おとがわプロジェクト』に参加する。

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